井筒和幸
映画監督。辛口コメンテーターとしても知られる。
1952年(昭和27年)、奈良県出身。県立奈良高校在学中から8ミリや16ミリの映画を撮り始め、1975年(昭和50年)、高校時代の仲間と映画制作グループ「新映倶楽部」を設立、映画界入り、ピンク映画「行く行くマイトガイ・性春の悶々」で監督デビュー。1981年(昭和56年)には一般映画「ガキ帝国」で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。1996年(平成8年)には「岸和田少年愚連隊」でブルーリボン最優秀作品賞などに輝いた。
近年は独自の批評精神を買われ、様々な分野での「ご意見番」として著名な存在。レギュラー出演しているテレビ朝日金曜日深夜の番組「虎の門」の「こちトラ自腹じゃ」コーナーでは話題の映画を自腹で鑑賞、鋭く評論している。
妻の姪にモデルの細野恵梨子がいる。
プロフィール
本名 |
井筒和幸 |
生年月日 |
1952年12月13日 |
出生地 |
奈良県 |
職業 |
映画監督 |
ジャンル |
ピンク映画、一般映画 |
活動期間 |
1975年 - |
「パッチギ」EPISODE
“パッチギ”とは、「突き破る、乗り越える」という意味を持つハングル語で、「頭突き」の意味でもある。
ここでは、井筒和幸のパッチギエピソードを紹介する。
「街頭ならパッチギ3発食らわしてた」 井筒和幸が三宅久之批判と自論を展開
暮れに腹立たしいことがあった。朝のテレビ で「『愛国心を持って』などと憲法に改めて書き込む必要なんかない。僕は国を憎んでいる時だってある。いつ愛そうがいつ憎もうが人の自由、勝手だし、わざ わざ憲法になど明文化する必要はないのよ」とさらりと言ったら、すかさずパネル席の向こうに座っていたはげたジジイ面の三宅ナントカというという評論家だ かなんだか知らないが、間違いなくクリエーティブの欠片も興味なさそうな、僕の世代や下の若者達からしたら何の関わり合いもなさそうなその爺さん、あと百 年でも生きて監視してやるぞというような面構えで、「愛国心がない人間なんぞは、この日本に住む理由もない。日本から出て行ったらいいんだ」と急に声を荒 げて言った。
あれがスタジオでなくて街頭なら、パッチギ(頭突き)3発は食らわしてたところだった。テレビの生放送中にそんな暴力をやらかしたらヤバいし、でも無性にドツき回したいし、どうしたもんかと体中の血管もシャーベット状になりかけるほど、久しぶりにキレそうだった。
ニッポンから出て行けとは、一体何様気取りで言ってるのか。誰も好き好みだけでこの国に生まれ暮らしてなどいない。「そんなのはクソ理論でしょ。そういう 考えが一番怖いことなんです」と何とか自分もなだめるように言うと、そのジジイがまたぞろ「私の言っていることのどこに間違いがあるんだ。フォークランド 紛争の時、イギリスの女王は愛する国民のために…」と、大英帝国のどうでもいいことをホザき出す始末で、シャーベット状態も治まらず、十何年ぶりにムカム カ悶絶させられた。
おまけに横に居並ぶ輩も、自衛隊は国防軍に作り改めるとか、一体このニッポンを統治でもしてる気なのか、そら恐ろ しかった。ニッポンに軍隊が再編されても、奴らや政治家は自分の身内の子供は絶対入れないに決まってる。そんな国防軍に莫大な予算をつける暇があるなら、 子供や貧乏人に使えとも思う。
大体、大人の国なら憲法など必要はない。明文化する必要もないのが本当の憲法という概念で、一々文律に して明記しなければならない国こそ、「なってない国」なのだ。今は大方の人間がその不文律を知っている。現行憲法はその当たり前をわざわざ書いてくれてあ るだけだ。(一部略)
1/5 東スポ紙面より